小田原のまちづくりについて危惧すること まちづくりフォーラムに参

昨日は市民会館で開催されたまちづくりフォーラムというのに友人数名と参加してきました。なのでその感想を全5回シリーズくらいでお送りしたいと思います。

参加した感想は「時間と金がもったいない」
「何がやりたいのかよくわからないけど、何となく伝わってきたまちづくりのスタンスについて、僕は断固反対」
という否定的なものでした。一緒に行った友人も同様の(ていうかもっと過激な)感想を持ったようで、あれで満足できた人は、主催者の方以外にはいないだろうと思いました。
内容が非常につまらなかったので、20分ほど遅れて、第一部「まちなか再生の構想報告」の途中から言ったのですが、40分くらいして、第二部の車座が始まって5分くらいしたら、あまりの内容の薄さとしかも話が進んでいくであろう方向性のズレを感じ、時間がもったいないと思ったので退席しました。
少し辛口になりそうで書くかどうか、というかコラムに載せるかどうか、非常に迷ったのですが、今の小田原のまちづくりの流れはいいものではないと痛切に感じているので敢えて載せることにしました。
NPO法人でも市役所でもなんでもなく、一介の一サークルのそれも一個人が考えたことではありますが、ご意見、ご感想等をお寄せいただけますと幸いです。

・ まちづくりの方向性についての違和感
・ 安易なハード建設は断固反対
NPO法人という法人格の存在
・ 既に決まっていたまちづくりのキーワード
・ 小田原という都市の未熟さ
・ 僕の考えるまちづくりの方向性

安易なハード建設は断固反対
フォーラムに遅れていったとき、ちょうど小田原のまちづくりの構想について話をしていましたが、話を聞くなり「???」と違和感でいっぱいになりました。
まず、ムカーシ昔の小田原は宿場町で交通の拠点であったこともあり、商工業者が交流をする場として栄えていたって話がありました。そこから聞いたので前段がどういう内容だったかは分かりません。
「都市は生き物だから時には治療が必要」
「治療には外科手術とマッサージがある」
「外科手術とはハードの整備。その一環として小田原駅が新しくなった。今後も城下町ホールの建設などがあり、これは出来ている」
「マッサージは市民活動。外科手術はだいぶ出来てきたのであとはこれです」
みたいな話でした。

この話について僕の解釈としては、「昔は栄えていてよかった。昔栄えていたシステムをもう一度機能させたい。そのためには、ハードの整備と市民活動が必要である」ということなのですが、これについて、僕は全く逆であると考えています。
昔は商工業者が交流するというシステムが機能して小田原は栄えていたのかもしれないけれど、交通網の変化、物流の変化、商業形態の変化、情報量の変化など、マクロ環境は大きく変化しているわけで、昔のシステムが機能しなくなったのは、マクロ環境の変化についていけなかったからだと思います。これは小田原だけではなく、他地域でも同じことが言われています。「治療」という言葉には、「治して元に戻す」とかって意味が込められていると思うのですが、後ろ向きな目標だと思いました。「昔はよかったから昔みたいに戻すことがまちづくりのゴールである」、「昔のシステムを生かすために、新しいハード、ソフトをつくる」というのは果たしてよいのでしょうか。
僕はそうは思いません。それでは安易だと思います。赤丸が昔のよかったこと、黄色が今だとしたら赤に回帰するのではなく、周囲の変化に対応した新しいシステムを目指すというのがよいゴールだと思います。元々小田原にあるハードやソフト(城や海、山、祭り、漁、木工、物産)を今の時代に適しているようなシステムに乗せていくことが答えだと思います。
ただ、この新しいシステムを考え、そして機能させるのは難しいことだと思います。でも難しいからといって、考えることを放棄するわけには行きません。絶えず考え、模索し続けていく必要があると思います。そして、その模索して見つけたときのために、それと平行して人材の蓄積、育成に励むのがよいと思います。適切な人材がそろっていれば、新しいシステムづくりに向けて動き出すとき、大きな推進力になるはずだと思うからです。