種の勢いと近親相姦

一般的に、近親相姦が続くと、病気になったり何がしかの障害を持って生まれるリスクが多い。と言われているけど、2/3くらいホントで1/3くらいは間違ってる。と思う。

個体数がある一定を下回ると、遺伝的なリスクが高くなるので、加速度的に絶滅が早まる。というのはたぶん事実。
たとえばイリオモテヤマネコとかケニアチーターとか個体数が100頭前後と言われているので、絶滅は時間の問題。かもしれない。

でも、誤解を恐れずに書くと、”種の保存”という点では、イリオモテヤマネコベンガルヤマネコの亜種、ケニアチーターも単なる地域個体群なので、それぞれ絶滅したからといっても、種が絶滅するわけではない。
佐渡のトキ保護センターみたいに、日本のトキは絶滅したけど、中国からトキを連れてきて繁殖させ、野性に帰すというようなこともできないわけではない。

この話には少なくとも2つの異論がある。
1つは、ベンガルヤマネコとイリオモテヤマネコは別種だという主張。生態学上の種の定義は、交配して、その子どもが生殖能力を持つ場合、同じ種類とみなす。ので、2つを掛け合わせて子どもに生殖能力があれば、同じ種ということになる。
でも分類学というのは、若干ロマンが入ることもあるので、完全にみんなの見解が一致することはなくて、最後の最後まで別種だと主張する人はたぶんいる。

もう1つは、生物の多様性は、種を守ればいいわけじゃないよという主張。
生物多様性には、大きくは景観の多様性から、小さくいうと遺伝子の多様性までいろいろ。だから種が残っても失われてしまう遺伝子があるかもしれない。僕もわりとこういう主張なんだけども、これはこれでさじ加減が難しい。
他の地域から持ってきても、合わずに死んでしまうかもしれないし、逆に強すぎて、他の種に悪影響があるかもしれない。
でも、その種がぽっかりそこの生態系から抜けても悪影響があるかもしれない。
いろいろ調査・研究はされていると思うけど、それが明らかになる頃には、既に状況は変わってしまっているので、結局はっきり分からない中で判断しないといけない。やってみないと分からない感。

2つの異論については、それぞれ一晩語れるくらいの勢いもあるけれど、今日書きたいのはそこではないのでとりあえず。

個体数が少なくなったら、近親相姦が進み、遺伝子レベルで種が弱くなって絶滅の可能性が高まる。というのが、当てはまらないケースもある。何事も例外はあるのだけど、このことは、例外で片付けるには多すぎる。

その1つの例として。
二十世紀のはじめに、アメリカかイギリスの無人島へニホンジカが4頭放たれた。それが、何年後かに300頭にまで増え、問題になったことがある。最初は4頭しかいなかったから、近親相姦しまくりなはずだけど増えまくった。
これは人為的な話だけれど、いろんな島に動物がいろいろ住んでいるのは、ワリと同じ流れのはず。最初はごく数頭が、泳いだり流されたりしてたまたま島にたどりついて。それこそアダムとイブのように最初1対とかしかいない状況から、繁殖して住みつくようになるわけで。

近親相姦によって必ずしも種が弱くなるわけではなくて、その種に勢いがあれば、近親相姦をものともせず増殖する。ようだ。
何十も何百もそういうケースがあって、たまたま増殖できた。と確率論的なものとして片付けることもできるし、そうかもしれないけど、それでもやっぱりそのたまたまが起こるのは、種として勢いがあるからなんじゃないかと思う。

僕は大学時代に多様性生物学という、何て人に説明したらいいかわかんないことを学んでいて。一応科学なので、種の勢いがどうだとかそんな話はしなかったんだけど、でもそういうこともあるよなぁとか何となく思ってはいた。科学で解明しようとしても、結局最後の最後まではっきりいえなくて、社会学的を通り越して、哲学的、倫理的、宗教的なところも判断要素になってきたりする。
だからさっき分類学はロマンだといったのも、別に否定するわけではなくて、最後のところはしょうがないよなぁと思う。人を動かすのも最後には好きとか嫌いとかロマンとかそういうことだったりするし。

例えばホッキョクグマやパンダを絶滅から守ろう!みたいなことには、人の心は動きやすいのだけど、希少なコケとかクモを守ろうとかそういう話には、あんまり動かない。仮にそのクモからエイズやガンを治す物質が採れるとかだとしても、「クモ嫌い」というコトの方が大きい気もするし。結局わからないことは、好きとか嫌いとかロマンとか神様とかそういうことで決まる。昔の人が、当時の科学で説明のつかない自然現象を神の力と説明してきたこととあんまり変わってない。


なんか少し脱線したけど。

もう1つ、さっきの無人島に放たれたシカの話。結局は、一時的に300頭にまで増えたものの、その後大量死することがあって、もっと少ない数に落ち着いた。急激に増えた後、急激に減る。で絶滅するか、ある程度のところで落ち着くか。それが種の勢いの差。
そんなわけで、今急激にヒトも増えているわけだけど、どこかの局面で一気に減りだすときがくる。今世紀中だとよく言われているけれど。そのときにあるところで下げ止まるのか、そのまま終わってしまうのかは、やっぱりヒトの種としての勢いによるんだろうか。
でもそんな運任せ、神頼みみたいなことはイヤなので、アクションを起こしているわけだし、そういう人が世界中にたくさんいる。いい感じに変わっていくといいなと思う。

気持ち的にいうと、たぶんシータを助ける途中、ドーラが気を失って落ちそうになるフラップターを操縦するパズーの気持ちに似ていると思う。
「あがれーーーっっっ!」ってやつ。